シコウノストレージ

自分自身の考えを整理するために書いています。

歪みをとると決めた日

最近自分も成長してきて、世の中のことが分かってきて理解したことがいくつかある。

その中の一つが確かな歪みが存在していているということだ。

 

トレードをしていたこともあるから、歪みが世の中に存在するという事実は知っていたが、身をもって実感したというか自分の頭の中で納得感をもって現れてきたのは最近のことだ。 

 

歪みというのは要は非合理的な意思決定、または合理的な判断によってゆがめられてしまった生態系のことだ。

つまり、秩序がない=通常で考えればありえないようなことである。

 

今思えば、学生時代は合理的なエコシステムが存在してたなぁと思う。

学校という世界が特殊というのはよく言われるが、性質上どうしても価値観が同じになりやすい。それはまぁ自然な状態ではないともいえるが秩序は保たれている。

スポーツができる男子がモテやすい、陽キャ女子がモテやすい、勉強ができる人が褒められやすい等、多く人が何となく「あー」となるような単純な価値観があった。もちろんこれは、成長していくにつれて変化していくものだがまぁ大人の世界に比べたら単純で分かりやすいと思う。

 

ただ、秩序が保たれていると歪みが存在しにくくそれはそれで残酷であるという見方もできる。正確に言えば歪みを本人でどうこうできる問題ではないということ。親ガチャ、環境ガチャ、生まれガチャ等。これは生まれつき決まっているし、自分でコントロールできる部分はどうしても限られる。

 

今も感じているがやはり大人の世界は、学生時代に比べて無秩序であるなと思う。みんな独自の価値観や考え方を持っていて、だからこそいろんなところに歪みが生じやすい。

 

個人的に表現するなら、ルールが変わってより感情が介入する余地が多くなっていると表現する。

だから学生時代からチェンジしたルールを認識できなければうまくいかないことも多く。おそらくそれを何となく認識できる人も多いのだろうが、多分自分は苦手なタイプだ。

ただ、何となく認識しているといっても解像度の違いはあって、解像度が高い人が天才と呼ばれるタイプの人なんだろうなと何となく思っている。

逆に考えて見つけたタイプの人は解像度の認識が高いが、ルールの把握が華麗ではないので秀才タイプと呼ばれるのだろう。知らんけど。

 

どちらでも良いがその境地にたどり着く必要がある。

なので自分は歪みをとっていこうと認識した。

歪みの定義、そしてルールの把握の具体的な話は次のブログにでも書こうと思う。