シコウノストレージ

自分自身の考えを整理するために書いています。

ちょっと精神論的な話

タイトルの通り。

今日は全然やる気がわかないので自分の考えを外に出しておこうということで。

 

自分は少々正解を求めすぎている時がある。

正解がないとわかっているからこそ、普段は行き過ぎることは少ない。

だが、同時に探すことこそ大事だとも思っている。

正解はないけど探すことに価値がある。

だから、探し続けている最中にそのことを忘れてしまう。

もちろん、知っているので一歩立ち止まれば思い出すことはできるが。

 

ここで、正解がないというのはそのままの意味では少々正確性に欠けるのでちょっと説明する。

"何かに対して"は必ず正解がある。

例えばダイエットをするにも食べないor運動するなどをして摂取カロリーを消費カロリーが一定以上上回ればよいというのは正解。

 

つまり、上の条件が満たされていれば何をやっても正解ということになる。

しかし、なるべく早く痩せたいというのならば、よりよい解が存在するし場合によっては不正解になる場合もある。

瘦せるのに10年かかる方法だったら良いとは言えないだろうし、期間が明確ではないが” なるべく早くなのでもっと早い方法をネット検索するなりで見つけて不正解にしてしまうことだって可能だろう。

 

このように、正解というのは考慮する変数が増えれば増えるほど複雑化ししまうので、そこにこだわって探すことも大事だが、あまりに複雑な場合変数に優先順位をつけて減らしてしまっても良いということだ。

 

難しいのがどのくらいのバランスで考えればよいかという部分。

例えば極端な例だと先ほどの10年ダイエットを愚直に実行してしまうよりはもうちょっと調べて考えたほうが良いだろうし、逆に調べすぎて真実が分からなくなって時間を消費→結局たっせできないなら元も子もなくなってしまう。

 

ここが考えるほど難しい。

そもそも優先順位を定義するのが難しい。

個人的にだが、優先順位なんて決めなくても良いとすら思うくらいに。

例えば、ダイエットの例で行くとダイエットをするのが目標で、次になるべく早く痩せたいがきて、なるべく楽な方法で、短時間で、安くて、人目につかないところで来て、人におすすめ出来て..etc

と希望は尽きないとは思うが、後半になってくればくるほどプラスαの差異が小さくなってくるので優先順位をつけるのが難しくなってくる。

なら、許容できるところに境界線を引いてそこを達成できればなんでもいいじゃないと考えるのを個人的にはやりたいと考えている。

個人的にはなるべく楽な方法で~以降はさして重要ではないので以下を切る。

なので、つらくてもやる。

もし、続かないのであれば一段境界線を落とせば良い。

そうやって許容度を考え、全部の理想的な世界=聖杯を探そうとするのではなく、必要なものだけを満たすということを意識するだけでよい。

こうすればよりシンプルになるし、かといって許容度を超えるようなことにはならないだろうと考える。

 

ただ、何度も言うように欲張ってこのラインを下げすぎるのは厳禁。

かといって本当の高みを目指すならここを極限まで下げる必要があるのだろうなとも思っている(これは想像でしかないが)。

ひとまず、自分はこう考えている。