シコウノストレージ

自分自身の考えを整理するために書いています。

インターネットが世界を平和にしてる感あってよい

考え方の幼さというのは極端に言えば相手のことを考えられない人だと思っている。

 

実際に幼い子供のころには相手のことが考えられないので、自分の快楽のために平然と感情のままにひどいことをしてしまうこともある。

 

しかし、心身ともに成長していくにつれて「人や自分が結局同じものだというものが分かってくる」。以後「」はXとする。

 

Xであるという考えに至るのは、人を傷つけるということは人が自分を傷つけるということと変わらないと気づくからだと思っている。

 

まぁこれは大げさな表現で、それでもやっぱり自分優位な部分はある。

そしてその度合いは、人それぞれなのでどちらかに極端な人は、自己中心的な人だとか逆に他人を気遣いすぎだとかになる。

 

自分の中では心が成長するとは、not Xな状態からXな状態に移行していくことで、そのためには、Xのために必要な体験をいかに多く行えるかというのが大事だと思っている。

 

ネットがない時代であれば、小説やドラマ、アニメ、ゲームetcなどストーリー要素のあるものを経験が主だったはず(もしかしたらそんなことないかもしれないが本旨ではない)。

 

要は、道徳の授業的な体験をいかに得られるかということで、環境が変わることにより得られる場合も多いが、特に性格が変わるものでもなければ、例えばいわゆる陽キャだった人はずっとそういう人生を歩んでいくならば陰キャの視点考えに立って考えることは難しく、そのような体験を主観的に得ることは難しい。

 

ここからが本題だが、インターネットの世界ではいろんな人がいてその本音を垣間見ることができる。

たとえばニュースのコメントだったりtwitteryoutubeなどのsnsだったり、他の人の考え自分とは違う考えに触れる機会が増えていると思う。

 

もちろんどうでもよいような内容も多々あるし、それをすべて真に受けてたら心が持たないのはそうであるが、それでもじゃあ見ることが不毛なのかといえばそうではない。

 

むしろ、他人の視点での考えに触れることができたり、視野を広げることができるのでXの状態から遠かった人もよりXに近づくことができる可能性はより広まっているのではと思う。

 

これはかなり感覚的な話なのでソースは俺としか言えないけれども、多分そういう人は少なからずいるだろうと思う。

 

中には本当に意味の分からないことを言っている人もいるが、意味の分からない話になるためにはどういう考え方が必要かなど、逆に探索するイメージで考えていくと何となくその人の考え方が分かったり、単純に視野を広げることもできるのでおすすめ。

 

そう考えると、いろんな考え方により寛容で優しい人が増えているような気がして、インターネットが世界を平和にしてる感があってよいと思ったというタイトル回収して締。