シコウノストレージ

自分自身の考えを整理するために書いています。

肌感覚の話

ここ最近、資本主義が崩壊するみたいな言説をたまに見る。

まぁそれ自体は何年も前から言われている一過性のものなのかもしれないし、そんな大きな移り変わりを一言で終わらせるのはどうかなと思うので個人的にも肯定的には見れない。

 

しかしながら、個人レベルにおける所有資産の開きを感じざる終えない。

もちろん、生活レベルもそれなりには違うのだろうが、おそらく金額以上の開きはないと思う。

どんだけお金持っている人でも、コンビニ飯で満足というレベルでコンビニの弁当はおいしいし、冷凍食品もかなりおいしくなっている。

それにも関わらず、貧乏人には手が出せないレベルではない。

 

これはあくまで一例だが、例えば基本無料ゲームにしても課金額に対するそれ相応の価値を手に入れられるのかと問われれば、金額以上の価値があるとは思えない。(価値観の違いとかそういう部分は置いておいて、そのゲームのコア機能自体は無料であることを鑑みての話)

 

ソシャゲの収入はそこから発生しているわけだし、課金前提で成り立っているわけなのでそれを批判する気はみじんもないのだが、安くてもそれなりの価値があって、高い金を出せば出すほど効用が小さくなっているようなものは今の時代多くあると思う。

 

そういう意味では、価値とは相対的なものだから物の価値に比べて金の価値が低下しているように思えなくもない。

とは言いつつ、やっぱりあればあるほどうまく使えれば使うほどできることや買えるものは増えていくわけで、なければならないという点では変わりがない。

 

おそらく現代においては資産と普段使われているお金は分けなければならないと思っている。

多分、資産が多くても使っている額は小さいという人は普通にいるだろう。(上記理由により)

 

そう考えるとビジネスではいかにお金を持っている人から踏んだくれれるかみたいな、廃課金勢をどれだけ増やせるかみたいなものが多くなっていくような気がする。

(ただし、そのモデルだとおそらく効用はだんだん小さくなっていかざるを得ないのでどれだけ付加価値を付けられるかみたいなところは勝負だと思うが。)

 

そう考えるならば、付加価値のつけ方が大事になってくるのだが、それがどこに寄っていくのかと考えてみる。

最近あるのは、投げ銭みたいなやつ。

価値を感じた人が任意の金額を出していくものでNoteとかBoothとかいろいろなサイトで採用されている。

あとは、NFTとかの創作物に対するオークション形式で値が決まるやつ。

今現状見るにチューリップバブルのような投機熱によるものなのか、だとしてもそれはどのレベルでのものなのかという判断が自分にはつかないが、お金を持っている人がかなり高い金額を出している印象がある。(これを資産と実需資金で分けて考えたときにどちらに入るのかは微妙に判断がつかないが)

 

あとは、Youtubeのスーパーチャットとか投げ銭とかで、これらを一言でまとめると市場で価値が付けられてないものに任意の金額を出すということ。

 

限界効用逓減の法則なんてものがあり、人によって感じる価値とお金の価値はリンクしていないなんてことは今に限ったことではないが、それでも同じものは同じ価値であるというような効率性は今の時代はどんどんなくなっていくのじゃないかと思っている。

 

ただ、そうなると払ったもの負けみたいな風潮がどうしても出てくると思う。

何故なら払えば払うほど効用が減り、であれば我慢という素晴らしい言葉で大切なお金を払わずに済むから。

ただ食いできる部分だけ味わってれば空腹感が満たされるから。

 

それを凌駕するのはコンテンツの無限増殖なんだろうか。

もうすでにそれに近い状態にあるような気もするけど。

コンテンツが多すぎて選ぶ必要があり、選んだものにお金を払えないなら何に払うの?みたいな感じになるというか。

 

そうなったときに金余りここに極まれり状態がより拡大するのか、それともスムーズにお金が移っていくようなエコシステムが実現するのかみたいなところは興味がわく。

まぁどちらにせよ、信用創造で生まれたお金の価値はどんどん薄まっていくんだろうなという気はしている。

 

ただし、いくら時代が進んでもまだ世の中の本質は奪い合いにある、限られた資源をどう配分するかという時代であるということは意識しておかないといけないと思う。

何不自由なく生活できているけれども、自分が利を得ているのならばそれは誰かに移る可能性のあった利を得ているだけなのだということを。

 

そんな世界の妄想はわかりとはかどって、本当にそうなるかもなるかもと思いつつも、なるとして何年かかるかもわからないので、肌感覚として常にイメージしつつ張れるようになるまで待つかと思っている。