シコウノストレージ

自分自身の考えを整理するために書いています。

明確なルールがないのは難易度高い

何かの勝負、例えばゲームだとすればルールに沿った(もしくは穴をついた)最適化した考え方というのがとても大切になってくるが、何かのコンテストのような幅を持ったルールの中で、明確な採点基準のないものに関しては違った考え方が必要になってくる。

 

それも最適化といってしまえばそれまでだが、最適化といえどゲームを攻略するようなものとはまた違った考え方をする必要があると考えている。

 

幅があるのだから自分の中で恣意的にルールを敷いて最適化するというのも一つのやり方だが、それはそもそも別のゲームをやっているのだから安定性は損なわれる可能性が高い。(というよりもまぐれで評価されるのを期待するに近い)

 

 

自分の中だとウメハラのいう勝つことは勝ち続けることだという思想があるので、そのような考え方をするのはあまり納得感がない。

 

試行回数みたいな考え方と、平均からの乖離という考え方を多分無意識にしていて、勝利する場合というのは少なからず平均の上乖離であるという考え方だから、まず乖離の範囲内に勝ちがなければならないと思っているのだと思う。

 

だからこそ、試合の結果というのはそこそこどうでもよくて、平均値をどこまで引き上げられるかみたいな勝負をしたいと考えている。

 

なので上記のような考え方は、自分の恣意性が他人の感性にたまたまマッチングするというあまり現実的ではない上乖離を狙った戦略のような気がするのであまり納得感がない。

 

とするならば発想を変えて、審査員を10人と仮定して評価A~EのうちA5人とE5人を狙うやり方と、BorC内に全員を収めるやり方どちらのがいいかと考えてみる。

 

前者のやり方は半分最高評価で半分最低評価なので総合評価はCと考えることができて、後者の方は全員がC以上なのだから総合評価はC+となる。

 

ここで考えなくてはならないのは、じゃあ総合評価C+の方が良いのかということで、結果だけ見れば一見そう見えるかもしれないが、一概にそうとは言い切れない。

 

これは評価基準によるので、そのコンテストが評価者全員の平均をとるやり方ならばそうかもしれない。

しかし、良いものを一つ選ぶという評価方法であるならばCの方は5票獲得し、C+の方は1票も獲得できない可能性がある。

 

なので結果から見れば、後者のやり方が優れている場合もあると考えられる。

 

しかしながら、今言ったように結果から見ればという話で、1位になるとか最下位になるというのはただの乖離でしかなく上のような仮定はひどく現実的ではない。

 

個々での条件として明確なルールが決められていないというものがあるので、ルールの決まったものよりかは平均からの乖離がひどいのは考えられるが、それでも端と端に散らばるというような可能性は低いだろうと思える。

 

世の中の賛否両論作品などの否定的な意見はおそらく、下乖離の部分を言っていて上乖離の部分があまりみられていないだけだろうなというのは容易に推測できるし、結果的に下乖離がひどくなってしまうならまだしも、最初から狙ってやるもんじゃないだろうと思う。(要は炎上商法みたいなやつ)

 

それを狙うとボラが大きくなる代わりに安定性は低くなってしまい、爆発的な上乖離を狙うことはできるかもしれないがあまり性に合わない。

 

ただ、1位を狙うという考え方には評価基準によっては意味があるので、上乖離を狙いつつ散らばりを減らしていくという考え方が必要と考える。

 

やっと言いたいことを言える下地が整ったが、これがルールに沿っていれば法則性を見つけるのはそれほど苦労しないし、見つけたならばある程度確信を持てると思う。

 

しかし、ルールが制定されていないので、平均からのちらばりを減らすという考え方自体が難しい。

感じ方、評価の偏りがどうしてもあるのに、そこをどうやって減らすのかといった問題だ。

 

個人的にはみんな違ってみんな一緒という考え方をしている。

細かな部分ではそりゃみんな違っているが、大まかな感性で言えば大体似たり寄ったりだと思う。

 

逆にそうでなければ、コミュニケーションがスムーズにいかなさすぎる。

まぁその根拠の話はどうでもよいが、自分はそう考えていて、みんな同じに対するみんな違う部分の乖離を勝ち取っていけばいいのではないかななどと考えている。

 

ある程度みんなおんなじ反応するだろうが、その中でも差異がありぶっ刺さる人に刺さればよい、それが上乖離であるみたいな。

もちろん下乖離があるのだろうがひどくならない限りは賛否両論にはならないし、なったところで賛否両論どまり。

 

もしそれが、否の方が大きいならばそもそも平均が否に寄っているということで、もっと根本を変えなければいけない話である。

 

個人的には、上乖離を増やすだったり、下乖離を縮小する意味合いを持つのが、細部に神が宿るということだと認識しているがそれはまた別のお話。