かなり直感的な話だが、自分の中で良い思考に立体的な思考というものがある。
多面的、多角的などいろいろ言い換えが可能でこのどれかなら聞いたことがある人もいるかもしれない。
ある一面的な部分を全体として認識せず、多面的に物事をとらえること、つまり物事についての視点や捉え方を増やすことという意味だ。
この思考の過程を常に通るというのが理想形なのだが、なかなかそうはならない。
意識すればある程度はできるのだが、特に"全然わかっていないのに分かったつもりになっていること"だったり、偏見やコンプレックスなど"物事に一定の強い感情を抱いていること"などはかなり直線的な思考になっていたりする。
ある程度は仕方がないと切り捨てるのも大事なことであるが、こと偏見やコンプレックスなど、治したいと思っているけど"できない"ことなどは、その直線的な思考が足枷になっていることもあり、その場合はしっかりとその事実を認識しなければ、間違った理解で、自分や他人を傷つけ続けることになってしまう。
そんな状況は極力防ぎたいので、なるべくそうならないようにしたい。
そもそも、直線的な思考になる原因として理解の浅さがある。
"全然わかっていないのに分かったつもりになる"はそのままその通りであるし、"物事に一定の強い感情を抱いている"場合は一つ視点で過剰に感情的になることが原因で全体像への理解が浅くなるからである。
多くの場合「事象や意見に対して強い感情を抱く」という場合は自分の中での強烈なイメージに最適化させすぎている(トラウマなど)。
もしかすると、確証バイアスを受けるときに近い感覚なのかもしれないが、線と線が直線でつながったような感覚になる。
そして、その線以外は何も見えていない。
筆者もそういう認識を抱くことも多々ある。
どの程度自覚できているかこそわからないが、少なくても上記のような感情になっていることを自覚する場面はあるので、それは上記のように「理解の浅さ」が生み出している(可能性がある)ということは頭の片隅に置いておきたい。
そう思うだけでも、直線的な思考がもたらす弊害を少しは減らせるのではないか、そうであればよいなと願っている。
※ここまで書いて思ったが立体的な思考と対比して直線的思考と書いたが、過度に強固な思い込みと書いた方が良かったかもしれない。