シコウノストレージ

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【推し、燃ゆ】感想

昨年、芥川賞を受賞して話題になっている【推し、燃ゆ】を読んでみた感想を書こうと思う。

 

この本の作者である「宇佐美りん」さんが20歳ということで舞台は現代も現代、SNSが普及してからのお話だった。

 

あらすじは書かないが、この本を読んでいると女子高生、発達障害、アイドルの追っかけなどの属性をもった主人公の主観を小説を通して追体験しているような気分になった。

この属性の設定がやけにリアリティを持っていて、すごい大雑把に言えばすごく現代っぽい。

SNS,ブログ,性別,炎上,ライブストリーミング、話のどこを切り抜いてもまさに現代、「今」を描いた作品なんだなというのが分かる。

 

今だからこそ、俯瞰視点というよりはあくまで主人公の主観に焦点を当てた作品なのだが、時々出てくる出来事の描写には、主人公の感情をトレースした自分じゃなくて、第三者としての自分の感情として、はっとさせられるようなそんな文が挟まれていて秀逸だなと思った。

 

所謂、「推し」という言葉がここ数年でマスに広がっていったが、主人公の「推し」は原点としての感覚、そして今ではオタクといわれる人たちの一番ディープなところにいる属性の人たちの考え方、見え方を描いている。

 

主人公についての感想を書くと、すごい観念的な考え方をしているなとと思った。

発達障害も人によっては観念的になりやすいというような話を聞いたことがあるけど、まさにそんな感じかもしれない。

 

推しを推すべきであるというのが、観念的な考え方がなせる業なのか、唯一の救いであることつまり神様だからなのか、はたまた自分で自分を縛り付ける苦行としての自傷(?)の一種なのかわからないけど、そんな人いるよねって思わせられた。

 

考え方は、合理的で観念的、さらに完璧主義、そして自罰的(?)で、自分のアイデンティティを他者に依存している。そんな偏りをしているように思えた。

 

発達障害についての描写も多く、姉が大学受験で「否定されている」ように感じるといった時に、意味が分からないというのが印象に残った。

あの発言の意図は、おそらく否定というよりも報われなさの八つ当たりなのだろうが、八つ当たりを人にぶつけてるから否定という言葉になり、この言葉は正確じゃないから伝わらなかったのかもしれない。

 

そういう小さなずれが、軋みを生み、共感されないから共感されるコミュニティにしか属さなくなる。

幸いにも、SNSにはどこかしら同じような考え方をしている人がいる。そしてバイアスが生まれ、見たいものしか見ない。

だからこそ、考え方の固定化が進み、より観念的になっていく。

 

理解はできるけど、共感はできない。

自分にはありえない話で、どうやってもこうはならないでしょみたいな感覚だった。

でも、おそらくそんなことなくて、最初理解できなくても、いつの間にか自分が気持ちよい意見しか見なくなり、気づいたらこうなっているのではと思う。

意図的にいろんな意見を見る、感情で事実を見ない、こういうことを意識的にしていかないと、いつの間にか沼にはまっているかもしれないなと。

 

 

 

また、主人公は推しを自分のアイデンティティの一部としていたが、自分をつかさどるものは結局のところ自分であり、他者は他者でしかないと思う。

他者に依存しているのも自分で、推しに救いを求めているのも自分の欲以外の何物でもないから。

 

自分と他人はどこまで行っても同質ではないし、推しは推しであり、自分は自分。推しているだけで、自分ではない。

推しの人生があるように自分の人生もある。

最後に主人公はそう思ったのかもしれないと感じた。