シコウノストレージ

自分自身の考えを整理するために書いています。

損切りできない心理

損切りとは、もうこれ以上損失を増やさないためにポジションを手仕舞うことで、主に株や為替などの金融商品をトレードする人に使われている。

 

それに派生して、恋人や友人を損切りするなど今までの時間は無駄(考え方次第だが)になってしまうけど、これ以上無駄な時間を過ごさないために関係を断ち切ることなど、全く投資に関係ないことにも使われたりする。

 

考え方としては全く同じで、損切りという考え方は人生のあらゆる判断の助けになってくれる概念だったりする。

 

しかしながら、この損切りというのは【言うは易く行うは難し】で単純だがなかなかできない人もいる。

 

この時の心理でよく言われるのは、【自分の間違いを認めるのを恐れている】もしくは【間違いを確定させるのが怖い】というものがある。

 

 

これら関しては大方正しいと感じる。

しかし、個人的にこれは末期での心理であると考えている。

もうここで確定させるのは、間違いを認めるつらさがあるみたいな状況になってしまった時だ。

※所謂、引っ込みがつかなくなったという状況に近いだろうか。

 

同じ間違いを認めるでも、傷が浅い時ならば心理的な負担は小さい。

しかし、傷が浅いうちに損切りできなかった人が末期の間違いを認めるのがつらいという状況に陥るわけである。

 

筆者はこの傷が浅い時に間違いを認めるのがつらいというのは、いささか違うのではないかと思っている。

なぜなら、例えば"確実に"損切りをすれば損失を増やすことがないという条件下だった時に、この間違いを認められない人は少ないと思うからだ。

 

現実世界での引っ込みがつかなくなったというような状況を想像してみてほしい。

間違ったことを認めたときにバカにしてくるような相手だったら、意地になりたくもなってしまうが、相手が優しく間違いを認めてくれる状況だったらどうだろうか。

(嘘を言ってしまったで考えても良い。)

 

おそらく、どちらの方が間違いを認めやすいかで言えば後者だと思うが、これは確実に相手が許してくれるだろうという確証があるからだ。

 

これとほぼ同じ状況になっていると考えいて、傷が浅いのに損切りができないというのは2度の失敗を恐れているからではないかと考えている。

 

この世の中には確証が持てることと、持てないことが存在する。

確証をもって間違っていることを続ける人は少なく、損切りができないことというのは確証が持てないことだろうと想像できる。

 

もし、失敗を認めたとしてそれが失敗だったら?と考えてしまうのだ。

もしかしたら、これが正しくて間違ったことを認めたのにそれすら間違いであれば、こんなバカなことないじゃないかみたいな心理になる。

そして気づいたら、傷口を広げてしまっている。

 

筆者はその原因を、リスクをちゃんと認識できていないということを理解してないことだと考えているが、長くなるのでこれはまた別の機会に書く。